片平敦(かたひらあつし)さん 気象予報士
気象予報士として19歳から活躍されている片平さん。
防災士の資格も活かし、“命を守るための情報”を発信し続けるその活動を語ってもらいました。
各テレビ局の天気予報をはしごして観るような子どもでした
―片平さんは物心ついた時から、将来の夢が「天気予報のおじさん」だったとか?
そうなんです。小学校低学年の頃の作文にもしっかりと書いてあって、担任の先生のコメントに「頑張ってテレビにも出てね」なんて書いてあって(笑)。空や天気が大好きで、それを人にお話しするのが好きな子だったので、お天気キャスターを目指すということは、僕の人生の中にはずーっと昔から当たり前のようにあった目標でした。朝や夕方には各局の天気予報を“はしご”して、たくさん観ていましたね。
―そして大学2年生、19歳の冬に、4度目の受験で気象予報士の試験に合格されました。
大学はいわゆる文系だったのですが、環境系を学ぶ学部で、自然科学にも詳しい先生がいらっしゃって、ゼミでアドバイスをいただいたりしたのが心強かったです。ただ、基本的には独学だったので、勉強方法はまったくの我流でした……。スクールに行くなどして体系立てて学んでいたら、もっと効率的だったのだろうなぁと思っています(笑)。ともに学ぶ仲間もできたでしょうしね。
最初に大ベテランのそばで学ばせてもらったことは代えがたい経験であり、今の僕の解説の原点です
―19歳で気象予報士の資格を取ってからは、まずどうされたのですか?
当時は資格を取った気象予報士の就業支援など皆無に等しかったと思います。なので、気象予報士になってすぐに、自分でウェザーマップへメールを送りました。そのころ、森田正光さんのお天気キャスター塾「森田塾」が開講されていて、参加したくて連絡を取ったのですが、その時にはもう「森田塾」は終わっていました。しかし、ちょうど開局したばかりのBS-i(現・BS-TBS)の早朝ニュースで『大学生お天気キャスター』を探しているとのことで。「挑戦してみない?」と森朗さんからメールで返事をいただいた日のことは今でも忘れません!うれしくて、メールを印刷して、家族に「あの森さんからだよ!」と見せて回ったほどのミーハーっぷりでした(笑)。その後、オーディションを受け、半年後に『大学生お天気キャスター』としてデビューが決まりました。
―デビューまでの半年間はどうされていたのですか?
サポート業務に入ることになり、夕方の森田さんの天気予報などを間近で見させていただくことになりました。この裏方の仕事の経験は、いざ自分が出演する時には非常に大きな力になりましたね。大ベテランのそばで学ばせてもらったことは代えがたい経験であり、今の僕の解説の原点とも言えると思います。
その一方で、社会経験も含めてまだまだ何もわからない19歳では、とても予報・解説など十分にできないとも思い、打ちのめされもしました。先輩に怒られ、指導していただき、少しずつ成長できたのは、気象予報士としてだけでなく、自分の人生のうえでも貴重な経験でした。
気象予報士は「命を預かる」資格なんだということを忘れないで
―気象予報士になりたいと思っている方に、アドバイスを。
気象予報士に向いている人は、ものごとを丁寧に客観的に見る姿勢を持つことができる人。そして、「防災」を常に意識して、命を守るための情報だということを熱く胸の内に持って、真摯に天気に向き合うことができる人、だと思います。テレビで解説するキャスター・解説者としては、これに加えて、明るく前向きに伝えられる人が良いのかもしれないですね。
―防災士の資格もお持ちの片平さんならではのアドバイスですね。
気象予報士を目指す方はご存知だと思いますが、気象予報士=お天気キャスターではありません。でも、気象予報士の最大の使命である「防災」は、お天気キャスターにとっても最大の使命であり存在意義だと思います。穏やかな天気の時には幅広い知識から楽しくて分かりやすい解説を提供し、利用者の方に天気に親しんでもらい、災害が予想される時には最大限自分の知識・経験を活用して、災害の危険性を察知し、適切に予報して解説するのが何よりも大切なことだと僕は思います。気象予報士を目指す方は、「命を預かる」資格なんだということを常に忘れないで、試験に臨んでほしいですね。もちろん、合格してからもその姿勢を忘れないでほしいと思います。
片平敦さん(かたひら あつし)さん
1981年埼玉県生まれ。幼少の頃から将来の夢は「天気予報のおじさん」。19歳で気象予報士の資格を取得し、大学生お天気キャスターとしてデビュー。卒業後は日本気象協会に入社し営業・予報・解説など幅広く従事した後、2008年にウェザーマップに移籍。関西を拠点に出演解説のほか講演・ウェブ記事執筆など活動中。平時は楽しく分かりやすく、災害時には命を守る解説を。関西の皆さんに愛され頼られる、天気の「町医者」でありたい。